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【教員免許取得者が考える】ボランティアの表と裏

教育
この記事を書いた人

社会人(24歳)
高校までずっと野球(勉強学年最下位)⇨Fラン大学に入学⇨一念発起し猛勉強⇨
成績優秀者として表彰される⇨東証1部、業界首位の企業に在籍中
みなさんに私の経験を少しでも役に立てていただければと思い、書いています。

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みなさんこんにちは、Katsuです。

連日寒い日が続きますね。大雪がニュースになっている地域もあり、気が抜けません。

今回私は、ある詩について紹介していきたいと思います。

みなさん「花田えくぼ」さんをご存知でしょうか?

私は学生時代、学校の先生になるための講義を受けていました。いわゆる教職というやつですね。

その中の講義の一つに「ボランティア」に関する詩に出会いました。

その詩を初めて読んだ時は衝撃的でしたし、私自信ハッとしたような気分でした。

「バリアフリー」や「ユニバーサルデザイン」と言われて久しい世の中ですが、改めて考える必要があります。

今回是非とも紹介できればなと思っています。

センシティブな内容ですので、誤解を与えないように紹介できればなと思っています。

※個人の感想であり、捉え方の違いなどはご了承ください。詳しく正しい解釈は専門家に譲ります。

※とても長い詩であり、本記事の内容だけでは誤解を招く恐れがあるため、併せて全文を読むようにしてください

※この記事は特定の人物や団体を誹謗中傷、応援する意図ではありません。


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ボランティア拒否宣言

ここからは、彼女の経歴や詩について紹介していきます。

「花田えくぼ」さんは「ボランティア拒否宣言」という詩を今から30年ほど前に発表しました。

彼女は身体が不自由であり、車椅子での生活を送っていました。(病名などは分かりませんでした。。。)

世間的にはいわゆる「ボランティアを受ける側の立場」にあたります。

そんな彼女が「ボランティア拒否宣言」という強いタイトルにした訳があまりにも深かったので紹介していきます。

ボランティアこそ私の敵

この詩にあるワンフレーズを抜粋してみました。

「ボランティアを受ける側が何を言っているんだ!」という声が聞こえてきそうですが、本質はそこではないと感じます。

つまり、花田えくぼさんが言いたいことはそこではないと考えます。

「ボランティアをする人はなぜそんなに偉そうなのか」

「生まれた時から身体の不自由な人は、一生立場が低いままなのか」

ということだと思います。

確かにボランティアを受ける側は頼んだ覚えはありません。

身体の自由が効くのであれば、ボランティアをする側にだって回りたいはずです。

本来対等であるはずのボランティアですが、いつの間にか利益の押し付けになっていることを危惧したのではないでしょうか。

ボランティアの犬達は私をアクセサリーにして歩く

ボランティアをした後の気持ちは清々しい気持ちでいっぱいですよね。

「誰かの役に立った!」という体験は何者にも変え難い素晴らしい経験の一つです。

ですが、ここで一つ疑問が生じます。

「そのボランティアって誰のため?」ということです。

最近ではボランティアのサービスやアイテムなどが増え、街中でボランティアをしている人を見かけるようになりました。

そんなある日、とても違和感を感じる出来事に遭遇しました。

私の母は老人ホームで働いており、学生ボランティアを受け付けているそうです。

最終日に参加者から感想を聞くのですが、「就活にぜひ生かしていきたいです」と口を揃えていうそうです。(本人の常識にもよりますが、、、)

本来相手のためのボランティアであるはずが、自分のエントリーシートを埋めるための道具になっていたのです。

ボランティアとは就活に必要な道具ではないはずです。

同様に、思い出づくりでもありません。

自己満足になっていないでしょうか。

花田えくぼさんは、ボランティアを受ける側ならではの違和感を感じていたのではないでしょうか。

ボランティアの犬達は 私と社会の間に溝を掘り幻想の中に孤立させる

※ここでは障害者ではなく、障がい者を用います(私なりに害という言葉は本人にとって本意ではないと考えるためです)(障がい者という言葉も本意ではないと思いますが、、、)

障がい者を障がい者たらしめているのは、実は私たちではないでしょうか。

ボランティアを通じて両者を明確に区別することによって、より大きな溝が生じるのではないでしょうか。

「障がい者はきっと困っている」という幻想のもと、ボランティアを受ける側の気持ちを疎かにしているのではないでしょうか。

花田えくぼさんは、障がいの有無に関わらずいつも通りに接して欲しかったのではないでしょうか。


まとめ

いかがだったでしょうか?

30年ほど前の詩ですが、今の時代にも言えることばかりで新鮮な詩です。

とても鋭い切り口ですし、ストレートに想いが伝わるかと思います。

ボランティアそのものの目的や価値が問われている詩とも言えます。

もちろん、ボランティアをすることには大いに賛成です。大変素晴らしいことだと考えます。

私も機会があれば、積極的に参加したいです。

しかし、この詩を読んで私自信戒める部分もありました。私も思い当たる節があったので、、、

実際に記事を書いてみて「うーんやっぱり難しい」というのが正直な感想です(笑)。

私のわずかな語彙力で記事にできるか迷ったのですが、ぜひ紹介したかったので、、、

冒頭にも書きましたが、本文の一部のみを抜粋しています。

この記事だけで判断をすることだけ内容に注意願います。

ボランティアという素晴らしい活動をするにあたって、一番大切なものが改めてわかる詩でしたね。

ボランティアをする側とされる側が分け隔てなく、平等に過ごせる日々を願って止みません。

そして、全ての人々が幸せに暮らせることも同時に願わせるような詩でした。

長くなりましたが、終わりにしたいと思います。

拙い文章でしたが、読んでくださりありがとうございます。

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